こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

お化けを見たら怖いし、電車で足を踏まれたらわざとじゃないってわかってても腹が立つ。恋人と一緒にいるときは嬉しいし、遊園地で遊んでいると楽しい気持ちになり、飼っていた猫が亡くなると(それを考えるだけでも)悲しい気持ちになります。

 

このように感情は自然と湧き出てくるものですが、ある人生においては、この自然な感情の「湧出→表現」が繰り返し妨げられることがあります。

そうなると感情はどうなるのでしょう。

例えば、怒りで暴力を振るう人を何度も見ていると、怒りをもつことは人を傷つけることだ、危険なことだと考えるようになります。そうなると自分の中の怒りをも避けるようになるかもしれません。

また、泣いている子どもは手がかかって嫌な存在だと思いこんでいる大人は、子どもが泣くことを叱ったり、禁じたりします。そのような制限をされると子どもは、泣くことを避けるために、悲しみや傷つきの感情をも避けるようなります。

このように感情を避けているうちに、しばしばそれが「なくなってしまった」と感じるようになります。

そうなると今度は感情にアクセスしようとしてもなかなかできません。

 

遺伝性の病気ですが、痛みを感じない、という人がいます。

痛みは苦痛を伴うものだし、誰しも避けたい感覚ではあるのですが、一方で、痛みを感じないと困ったことになるということをこの疾患は教えてくれます。

この病気の人は皮膚や骨関節組織に外傷を負いやすく、また怪我したことに気づきにくいため、それが重症化することもあります。

すなわち、「痛み」は苦痛ではありますが、私たちの身体を健やかに保ち、守るために必要なものなのです。

感情も、不快な感情であればなおさら、同様の役目を担っています。

私たちは、危険なところに立ち入ると不安や恐怖を感じ、そこから素早く立ち去ることができます。

怒りを感じることで、自分の境界線を越えられたことや、なにかアンフェアなことが起こっていると知ることができます。

悲しみを感じることで、自分がなにかを喪失したこと、そしてそれが大切なものであった、ということに気がつけるのです。

 

 

STAIR(複雑性PTSDのための心理療法です)の感情調整のはじまりは感情の役割について学んだり、感情に気が付くことの「メリット」について話し合うところからはじまります。

そもそも感情を感じること自体がすごく危険だと思っていたり、不安を感じる状態なのですから、そこから少しづつでも感情にアクセスする練習をしていこうとするとき、極度の不安を感じてもおかしくない状況なのです。

感情に役割があることを知ったり、感情に気が付く「メリット」が明確になっていないと、とてもじゃないけどなかなか勇気って出ないものです。

それは例えてみると、練習の前に十分な準備体操をする感じでしょうか。

しっかり身体があったまって心の準備ができたら、練習もとっても上手くいくと思います。

 

ではまた。

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投稿: 飯田橋 サードプレイス

東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

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